BACK TO HAMBURG 追憶のハンブルク・未知のドイツ
 
 
018「精霊の棲むレストランがある通り カール・テオドア・シュトラーセ」

アルトナ地区にある、ファブリック(Fabrik)というコンサート会場の近所に住んでいた頃、「ツア・トラウベ(Zur Traube)」というレストランによく出かけた。誕生日も、友達と会うのも、仕事がらみの会食も、たいていこの店だった。90年代後半のことだ。

「ツア・トラウベ」は、「ぶどうの房のほうへ」という意味。カール・テオドア通りに入ると、店の番地を覚えていなくても、薄緑色の大きなぶどうの房の形をした照明がすぐに見つかるから、それに向かって歩くだけ。あのぶどうの房が目にとまると、ぶどうの精に誘惑されるような、非現実的な感覚に襲われ、気がついたらレストランの扉を開けている。

店内1階は、壁も天井もカウンターも座席も、何もかもが、20世紀初頭のドイツ表現主義の影響を受けた見事な木彫作品。30体ほどある様々な職人たちを表現した木彫像は、教会建築の装飾に欠かせない聖人像のように壁面上部に並んでいる。木は暖かな艶を放ち、そこに佇んでいると、気持ちがすこしづつほぐれてゆく。この1階の内装は、1925年の完成時のままなのだそうだ。2階は、長年住居として使用されていたそうだが、90年代にはいってからレストラン用に改装された。気取らない、親しい友人宅の居間のような、居心地のいい空間だ。

この家屋が建てられたのは1880年。1884年には、1階にハンブルク初のワイン商のひとつである、フォイグト(Voigt)が開業。その後、店はロベルト・デムケ氏に引き継がれ、ワイン・レストランとなった。第一次世界大戦後は、エーミール・ペータース(Emil Peters)氏が店を購入し、1925年にワイン・レストラン「ツア・トラウベ」となって新装開店。彼の名前は、今もファサードに残されている。

ペータース氏はもともと左官屋で、建築家を志していたそうだが、第一次世界大戦で負傷し、左官屋の仕事を続けられなくなったため、ワイン・レストランの経営を思いついたという。店を購入したのは1919年だったが、実際に彼が店を開くことができたのはその6年後。建築家の友人と、彫刻家の友人に手伝ってもらい、自分好みの内装にしてから開業したという。壁にあしらわれた木彫りのレリーフの中には、彼の作品もある。

ペータース氏の「ツア・トラウベ」はハンブルク・アルトナ地区のワイン文化の発信地だった。彼はハンブルク初のワイン宅配業者でもあり、第二次大戦直前までは、近所の子供達がワインを運ぶ荷車を押すのを手伝う姿が見られたという。著名人も、庶民も、みなが「ツア・トラウベ」の大切なお客だった。彼が、酔っ払った客を自宅まで送りとどけたという話や、クズ屋の荷車をひく馬に店内のカウンターで水を飲ませてあげたという話が語り伝えられている。

1974年、ペータース氏は86歳で亡くなられるのだが、彼の残した「遺書」には、以下のようなことが書かれてあったという。

「ツア・トラウベ」の内装、外装を決して変えないこと。
「ツア・トラウベ」でふるまわれる酒はワインに限ること。

この「遺書」は、90年代後半当時は、ペータース氏の親しい友人や親戚たちで構成される「共同遺産相続会」が保管し、会のメンバーが、ときどき店に出入りして、ペータース氏の「遺書」の内容が守られているかどうかを監督していたという。

私は、ペータース氏の遺書の話を、当時「ツア・トラウベ」を経営していた女性から聞いた。彼女とは、ワインのことをいろいろ教えてもらううちに親しくなった。その彼女がある日、「どうも、この店には精霊が棲んでるみたいなのよ・・・」と言って、こんな話をしてくれた。「1998年のある日、共同遺産相続会のメンバーの一人が、店の階段で倒れ、そのまま息を引き取ってしまったの。以来、この店に棲みついている精霊が活発になったみたい。先日も、あるお客のグラスが、テーブルから少しだけ浮かんで、いきなりひょいと床に落ちてしまった。ふつうグラスはあんなふうには落ちないから、きっと精霊のしわざよ。最近は、店のあちこちで変な音もするし・・・」。

彼女は、精霊の存在を確信しているようだった。おそらくその精霊は、この店のカウンターで、人生のほとんどの時間を過ごしたエミール・ペータース氏とその仲間たちなのだろう。彼らは、店の様子を見に来たついでに、ちょっとしたいたずらをしていくのかもしれない。

2年前の夏、久しぶりに「ツア・トラウベ」で食事をした。店は以前のままだったが、経営者は変わっており、ワインだけでなく、ビールも出すようになっていた。新しい経営者は「共同遺産相続会」のこともペータースさんの「遺書」のことも知らなかった。天国のペータースさんは、今頃、いったいどんな顔をしているのだろうかー。

(今回の話は1999年に書いたエッセイを、一部改訂したものです。初出/講談社・Morning Online)
 
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